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2009年12月中学高校時代の同級生が死去 享年65歳 中期高齢者といえどもあまりにも早すぎる その通夜に参加した同級生から寄稿があった 原文のまま掲載します(氏名は仮名です)
不摂生を絵にかいたような生活をしている不動産やの筆者などどは違い 彼は食については専門家であった その彼が先に逝くとは 人生の無常をいっそう感じます
巳城君の通夜に参列して
平成21年12月10日、悲しさを堪えて巳城君の通夜に向かった。乗り慣れない京王線の車中で「思えば、真田君が亡くなったのも12月だったよな…」(真田君は5年前の12月14日に逝去されている)と、一人感慨に浸っていた。
途中、電車の乗り違いなんかをしてしまったので、会場の観蔵院瑠璃光会館に到着したのは通夜の始まる2分前であった。既に長蛇の列が並び、故人の遺徳を偲ばせていた。列の最後尾に並びながら前方を見ると、長身の瀧田君・頭を光らせた吉田富正君の姿が見えた。周囲の方に目礼し、その列に加えて頂く。数日前に巳城君を見舞ってくれた瀧田君から病状等の話を聞いているうちに、古川君や森君が姿を現した。
参列者の焼香が始まった。葬儀社の係員が「本日のご焼香は一回のみでお願いします!」と、繰り返し叫ぶのが喧しかった。《2時間かけて、お別れに来たんだ!最後の時くらい、ゆっくり拝ませてくれ!》と内心では思ったが、大人しく指示に従った。
巳城が勤めていた中村屋の社長や開成高校3年6組などから贈られた沢山の花に飾られた巳城の遺影は、いつものように人懐っこい穏やかな笑顔を見せていた。《ヨウ!みんなで来てくれたのかよ》と、語りかけているようであった。遺影を見つめているうちに鼻の奥がツンとなってきた。
お清めの席に行くと、先に焼香を済ませていた土田・鈴木信保・吉沢・芥川・金籠・宇野・見目・長村らが個人を偲び、語り合っていた。河合潔・東原といった他の組の仲間も顔を見せてくれていた。(他にも見知った開成の顔が並んでいたが、残念ながら名前と顔が一致しなかった。-苦笑)
お清めを終え、瑠璃光会館を出た時にバッタリと石上君に出会った。「スマン!スマン!車で来たんだけど渋滞に巻き込まれて遅くなってしまった。申し訳ない!」
通夜の会場が、聖蹟桜ヶ丘という遠方だったので、皆はこのままお開きにする積りだったと思うが、石上君の登場で急遽《巳城を偲ぶ会》を行うことになった。まあ、それは口実で誰しもが別れがたい気持ちを抱いていたのだと思う。
知らない街なので、飛び込みで《歌行燈》という蕎麦屋に入った。私は前回のクラス会の幹事役を充分に果たしていなかったので、ここでの幹事役を務めさせて頂いた。瀧田君と見目君に員数を確認すると「え~っと、今10人だけど後から石上が駆け付けるから11人だな。」という返事であった。
「献杯!」の掛け声で全員が巳城の冥福を改めて祈った。「俺はさ、よく巳城と喧嘩したんだよな。あいつはいいヤツだと思うけど、知ったかぶりでヒトコト多いんだよな…」と、吉田富正が会話の口火を切った。「そこが巳城の巳城たる所以だよ!」と、見目が切り返す。会話は和やかに進んだ。
巳城の病状悪化については、前回のクラス会で瀧田から報告があったのだが、参加出来なかったメンバーもいたので、改めて瀧田の話を傾聴した。話の途中、何かのきっかけで瀧田の口から
「だからさ、オイ!巳城、巳城は何処に行った?」という言葉が飛び出した。その口調が、あまりにも自然な呼びかけだったので、あたかも巳城がそこにいるような錯覚を覚えた。
その時、全員が《巳城は、俺たちの胸の中に生きているのだ》と感じたはずである。
30分遅れで石上君が到着した。改めて《献杯》のやり直し。いつまでも話は尽きなかった。
帰りの車中で、ふと思った。《待てよ、店に入るときに見目達が員数確認をしてくれた筈だ。その時、遅れて来る石上君を入れて11人という返事だった…。それなのに、席についていたのは10人しかいなかった…。会計の時に、吉田が10で割る割り勘だから簡単だよな!と大声をあげたので、それは確かだ。》
「そうか!あの時、あの席に巳城がいたんだ!開成の仲間たちと最後の別れをするために、俺たちの席に来てくれたんだ!」俺は、何故か少し嬉しくなって一人車中で微笑んでいた。(合掌)
開成高校3年6組 佐藤奉昭 拝
不摂生を絵にかいたような生活をしている不動産やの筆者などどは違い 彼は食については専門家であった その彼が先に逝くとは 人生の無常をいっそう感じます
巳城君の通夜に参列して
平成21年12月10日、悲しさを堪えて巳城君の通夜に向かった。乗り慣れない京王線の車中で「思えば、真田君が亡くなったのも12月だったよな…」(真田君は5年前の12月14日に逝去されている)と、一人感慨に浸っていた。
途中、電車の乗り違いなんかをしてしまったので、会場の観蔵院瑠璃光会館に到着したのは通夜の始まる2分前であった。既に長蛇の列が並び、故人の遺徳を偲ばせていた。列の最後尾に並びながら前方を見ると、長身の瀧田君・頭を光らせた吉田富正君の姿が見えた。周囲の方に目礼し、その列に加えて頂く。数日前に巳城君を見舞ってくれた瀧田君から病状等の話を聞いているうちに、古川君や森君が姿を現した。
参列者の焼香が始まった。葬儀社の係員が「本日のご焼香は一回のみでお願いします!」と、繰り返し叫ぶのが喧しかった。《2時間かけて、お別れに来たんだ!最後の時くらい、ゆっくり拝ませてくれ!》と内心では思ったが、大人しく指示に従った。
巳城が勤めていた中村屋の社長や開成高校3年6組などから贈られた沢山の花に飾られた巳城の遺影は、いつものように人懐っこい穏やかな笑顔を見せていた。《ヨウ!みんなで来てくれたのかよ》と、語りかけているようであった。遺影を見つめているうちに鼻の奥がツンとなってきた。
お清めの席に行くと、先に焼香を済ませていた土田・鈴木信保・吉沢・芥川・金籠・宇野・見目・長村らが個人を偲び、語り合っていた。河合潔・東原といった他の組の仲間も顔を見せてくれていた。(他にも見知った開成の顔が並んでいたが、残念ながら名前と顔が一致しなかった。-苦笑)
お清めを終え、瑠璃光会館を出た時にバッタリと石上君に出会った。「スマン!スマン!車で来たんだけど渋滞に巻き込まれて遅くなってしまった。申し訳ない!」
通夜の会場が、聖蹟桜ヶ丘という遠方だったので、皆はこのままお開きにする積りだったと思うが、石上君の登場で急遽《巳城を偲ぶ会》を行うことになった。まあ、それは口実で誰しもが別れがたい気持ちを抱いていたのだと思う。
知らない街なので、飛び込みで《歌行燈》という蕎麦屋に入った。私は前回のクラス会の幹事役を充分に果たしていなかったので、ここでの幹事役を務めさせて頂いた。瀧田君と見目君に員数を確認すると「え~っと、今10人だけど後から石上が駆け付けるから11人だな。」という返事であった。
「献杯!」の掛け声で全員が巳城の冥福を改めて祈った。「俺はさ、よく巳城と喧嘩したんだよな。あいつはいいヤツだと思うけど、知ったかぶりでヒトコト多いんだよな…」と、吉田富正が会話の口火を切った。「そこが巳城の巳城たる所以だよ!」と、見目が切り返す。会話は和やかに進んだ。
巳城の病状悪化については、前回のクラス会で瀧田から報告があったのだが、参加出来なかったメンバーもいたので、改めて瀧田の話を傾聴した。話の途中、何かのきっかけで瀧田の口から
「だからさ、オイ!巳城、巳城は何処に行った?」という言葉が飛び出した。その口調が、あまりにも自然な呼びかけだったので、あたかも巳城がそこにいるような錯覚を覚えた。
その時、全員が《巳城は、俺たちの胸の中に生きているのだ》と感じたはずである。
30分遅れで石上君が到着した。改めて《献杯》のやり直し。いつまでも話は尽きなかった。
帰りの車中で、ふと思った。《待てよ、店に入るときに見目達が員数確認をしてくれた筈だ。その時、遅れて来る石上君を入れて11人という返事だった…。それなのに、席についていたのは10人しかいなかった…。会計の時に、吉田が10で割る割り勘だから簡単だよな!と大声をあげたので、それは確かだ。》
「そうか!あの時、あの席に巳城がいたんだ!開成の仲間たちと最後の別れをするために、俺たちの席に来てくれたんだ!」俺は、何故か少し嬉しくなって一人車中で微笑んでいた。(合掌)
開成高校3年6組 佐藤奉昭 拝
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