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4 終結
ここまでくると 強引に損害賠償を提訴したTYホテル側と重箱の隅をつつくような証拠をあげて 懸命に和解調停額の引き下げを謀っていた代理人弁護士もついに全面降伏するしかなし と判断したとみえ TYホテル側は2009年5月にA氏に 〔1億円を2009 年6月末日までに支払う義務のあることを認める和解案〕 を承諾せざるを得なくなった
2006年6月にTYホテル側が提訴して 3年目の2009年6月末に決着となったわけであるが TYホテル側としては2億4千万円の賠償請求が 請求どころか逆に1億円支払わなければならない こととなり 原告であり提訴者でもあるTYホテル側が被告であるA氏にお詫び料を支払う という まことに珍妙な結果になったのである
度重なるTYホテル側のオウンゴールも A氏の運気がTYホテル側より勝っていたからであろうか?TYホテル側の無条件全面降伏である
後日談
ちなみに TYホテルが営業継続不可能とした後の建物は TYホテル退去後F市との協議どうりの改装が施され 適法状態に改善された後 不動産業者T 社長の奔走で地元のホテル業者と賃貸借契約が整い2006年11月からRホテルとして盛況に運営されている
読者は 和解調停の期日を間違え無断で欠席し判事の心証を決定的に悪化させたTYホテル側の弁護士が依頼人であるTYホテル側にどのような説明をしたのか ぜひ聞いてみたい と思いませんか?
* 最後に重ねて申し上げますが 本文は完全なフィクションですのでご承知ください
ここまでくると 強引に損害賠償を提訴したTYホテル側と重箱の隅をつつくような証拠をあげて 懸命に和解調停額の引き下げを謀っていた代理人弁護士もついに全面降伏するしかなし と判断したとみえ TYホテル側は2009年5月にA氏に 〔1億円を2009 年6月末日までに支払う義務のあることを認める和解案〕 を承諾せざるを得なくなった
2006年6月にTYホテル側が提訴して 3年目の2009年6月末に決着となったわけであるが TYホテル側としては2億4千万円の賠償請求が 請求どころか逆に1億円支払わなければならない こととなり 原告であり提訴者でもあるTYホテル側が被告であるA氏にお詫び料を支払う という まことに珍妙な結果になったのである
度重なるTYホテル側のオウンゴールも A氏の運気がTYホテル側より勝っていたからであろうか?TYホテル側の無条件全面降伏である
後日談
ちなみに TYホテルが営業継続不可能とした後の建物は TYホテル退去後F市との協議どうりの改装が施され 適法状態に改善された後 不動産業者T 社長の奔走で地元のホテル業者と賃貸借契約が整い2006年11月からRホテルとして盛況に運営されている
読者は 和解調停の期日を間違え無断で欠席し判事の心証を決定的に悪化させたTYホテル側の弁護士が依頼人であるTYホテル側にどのような説明をしたのか ぜひ聞いてみたい と思いませんか?
* 最後に重ねて申し上げますが 本文は完全なフィクションですのでご承知ください
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3 経緯
T地裁が双方からの提出された証拠や事実関係を2年以上にわたって審理した結果 裁判所は『TYホテル側の訴因には何ら根拠がない どう見ても被告側であるA氏の言い分が正当である』 との判断を下すにいたった
当然 ここに至るまでにはA氏側は文書に残る今までの経緯だけでなく F市の建築指導課やTYホテル側とのやりとり 電話での会話など録音していたものを文書に起こしてTYホテル側の弁護士へ反論資料として提示するだけでなく 裁判所へ証拠として提出する用意もあるとして TYホテル側に真実を述べるように要請した
ここに至って 攻守ところを変え A氏側は攻める一方となり TYホテル側は防戦一方となる
裁判所としては できることなら両者で和解をする方向で協議してはどうか との意向である
裁判所で判事立会のもとで双方が何回かの折衝のあと 裁判所から 『TYホテル側にA氏側へ 8千万円を支払わせるので和解応諾しては』 との打診があった
A氏側は TYホテルに賃貸継続していれば 得ることのできた利益は少なくとも1億5千万円で あるので 1億円以下ではとうてい応諾できないし また値下げする理由も無いとして和解金額の プラスを要求し もし 和解金額のプラスをTYホテル側が承諾しなければ判決を求めることも辞 さない と強硬に訴えた
そんなこんなの最中に 山陰地方のM市駅前のTYホテルの建設時の廃材不法投棄事件で刑事告発されていたTYホテルのN前社長に対して 2009年3月にS地裁から廃棄物処理法違反で 懲役2年 4カ月執行猶予3年 罰金150万円の判決が下されたことが報道された
さらに 2009 年4月の数回目の裁判所の和解調停の場に なんとTYホテル側の代理人弁護士が日時を間違え まったく連絡もなく欠席するというお粗末なオウンゴールをするに至り 裁判所の心証がまったく変わって A氏側の1億円の提示案を全面支持するようになった
もともと裁判所は今回の原告側であるTYホテル側には訴因はないとの判断も下しており 2006年1月当時のN前社長の傲慢無礼な記者会見も承知しており さらにM 市の事件での実刑判決などもあり TYホテル側は順法精神がないばかりでなく時間の観念もない との印象を持ったことは容易に推察できる
T地裁が双方からの提出された証拠や事実関係を2年以上にわたって審理した結果 裁判所は『TYホテル側の訴因には何ら根拠がない どう見ても被告側であるA氏の言い分が正当である』 との判断を下すにいたった
当然 ここに至るまでにはA氏側は文書に残る今までの経緯だけでなく F市の建築指導課やTYホテル側とのやりとり 電話での会話など録音していたものを文書に起こしてTYホテル側の弁護士へ反論資料として提示するだけでなく 裁判所へ証拠として提出する用意もあるとして TYホテル側に真実を述べるように要請した
ここに至って 攻守ところを変え A氏側は攻める一方となり TYホテル側は防戦一方となる
裁判所としては できることなら両者で和解をする方向で協議してはどうか との意向である
裁判所で判事立会のもとで双方が何回かの折衝のあと 裁判所から 『TYホテル側にA氏側へ 8千万円を支払わせるので和解応諾しては』 との打診があった
A氏側は TYホテルに賃貸継続していれば 得ることのできた利益は少なくとも1億5千万円で あるので 1億円以下ではとうてい応諾できないし また値下げする理由も無いとして和解金額の プラスを要求し もし 和解金額のプラスをTYホテル側が承諾しなければ判決を求めることも辞 さない と強硬に訴えた
そんなこんなの最中に 山陰地方のM市駅前のTYホテルの建設時の廃材不法投棄事件で刑事告発されていたTYホテルのN前社長に対して 2009年3月にS地裁から廃棄物処理法違反で 懲役2年 4カ月執行猶予3年 罰金150万円の判決が下されたことが報道された
さらに 2009 年4月の数回目の裁判所の和解調停の場に なんとTYホテル側の代理人弁護士が日時を間違え まったく連絡もなく欠席するというお粗末なオウンゴールをするに至り 裁判所の心証がまったく変わって A氏側の1億円の提示案を全面支持するようになった
もともと裁判所は今回の原告側であるTYホテル側には訴因はないとの判断も下しており 2006年1月当時のN前社長の傲慢無礼な記者会見も承知しており さらにM 市の事件での実刑判決などもあり TYホテル側は順法精神がないばかりでなく時間の観念もない との印象を持ったことは容易に推察できる
2 訴訟
F市 TYホテル A氏の間での調整は5ヶ月近くも要したが ほぼ妥結の方向となり TYホテルの弁護士とA氏の弁護士が同意書を作成し 工事業者の選定などにかかろうとする矢先の2006年 6月末に 突然TYホテルは記者会見し 『建築基準法違反の是正に建物所有者A氏の協力が 得られないのでTYホテルと しては容積率違反状態のままでは営業の継続ができないから1ヶ月後に店舗閉鎖し撤退する』 と発表した
A氏のもとにも複数のマスコミからTYホテルの記者会見の内容の真偽について確認の電話がきたがA氏は寝耳に水のことで何のことやらわからず A氏の弁護士もまったく事情が判明せずいる うちに TY ホテル側からA氏相手に損害賠償請求の民事裁判の提訴がなされた
訴因は 『TYホテルとしては 容積率違反を改善するべく努力したがA氏の協力が得られないので撤退せざるを得ない したがって ホテルとして継続営業すれば2億4千万円の営業利益があったはずであるのでそれを賠償しろ』 との内容である
A氏としてはまったく事実に反するので 弁護士と相談の上 当然反訴に及んだ
反訴の事由は A氏がF市にも再々出向き調整協力したり 容積率改善工事に備えて自己使用部分も退去空室にまでしたにもかかわらず 『TYホテル側は容積率違反の改善工事もまったくする ことなく5年もの契約期間を残して一方的に退去したのは契約違反であるから A氏側の当然得ることのできた賃料の損害を賠償しろ』 というものである
F市 TYホテル A氏の間での調整は5ヶ月近くも要したが ほぼ妥結の方向となり TYホテルの弁護士とA氏の弁護士が同意書を作成し 工事業者の選定などにかかろうとする矢先の2006年 6月末に 突然TYホテルは記者会見し 『建築基準法違反の是正に建物所有者A氏の協力が 得られないのでTYホテルと しては容積率違反状態のままでは営業の継続ができないから1ヶ月後に店舗閉鎖し撤退する』 と発表した
A氏のもとにも複数のマスコミからTYホテルの記者会見の内容の真偽について確認の電話がきたがA氏は寝耳に水のことで何のことやらわからず A氏の弁護士もまったく事情が判明せずいる うちに TY ホテル側からA氏相手に損害賠償請求の民事裁判の提訴がなされた
訴因は 『TYホテルとしては 容積率違反を改善するべく努力したがA氏の協力が得られないので撤退せざるを得ない したがって ホテルとして継続営業すれば2億4千万円の営業利益があったはずであるのでそれを賠償しろ』 との内容である
A氏としてはまったく事実に反するので 弁護士と相談の上 当然反訴に及んだ
反訴の事由は A氏がF市にも再々出向き調整協力したり 容積率改善工事に備えて自己使用部分も退去空室にまでしたにもかかわらず 『TYホテル側は容積率違反の改善工事もまったくする ことなく5年もの契約期間を残して一方的に退去したのは契約違反であるから A氏側の当然得ることのできた賃料の損害を賠償しろ』 というものである
承前
本文は筆者の友人A氏が実際に体験したことをベースにした完全なフィクションです
万一 イニシャルから実在の人物や地名が推測されても まったくの偶然ですので御寛容ください
2009年 6月27日 記
これから書くことは何もハリウッドの俳優の離婚慰謝料の話ではない
2009年6月末日に大手のTYホテルチェーンが 賃借していたホテル建物の所有者に対して 支払ったお詫び料である!
なんと太っ腹な と感心するかしないかは 以下のいきさつをご覧になって判断されたい
少々長いので 発端―経緯―訴訟―終結 と数回に分けて掲載するので ゆっくりとご覧ください
1 発端
2006年1月 ようやく正月気分も抜けたころに 大手のTYホテルチェーンのY市の施設が容積率違反の建築基準法違反で摘発された その時のTYホテルの社長の謝罪会見は未だに語り草になるほどであり 経営者の危機管理能力の欠如の典型例とされている
お忘れの方も多いだろうから 改めて その仰天言動の一部を当時の新聞から引用してみる
〔不正改造の謝罪会見で開き直った大手ホテルチェーン「TYホテル」のN社長(59)は 「まあいいかと思った」 「60キロの制限速度を67、68キロで走っていいと思っていた」 〕
このN社長の記者会見時の傲慢無礼な対応が全国のTVに流れ大ひんしゅくを買い ことはY市だけでなく 国土交通省の監督のもとに全国のTYホテルの建物の総点検に発展した
その結果 TY ホテルの半数以上にもなる70か所以上の建物で容積率違反 用途違反など様々な法令違反が見つかり 監督官庁から改善命令を受け N社長は引責辞任に追い込まれた
その中の1つが 本件の建物である
その建物はC県F市のJR F駅徒歩3分の場所にあって 8階建てで140室のホテル客室があり 1Fはテナントに賃貸され 2Fの一部は所有者A氏が事務所として自己使用していた
建築当初は そのホテルの客室以外の部分は建築基準法での容積率に含まれない屋内駐車場として申請されており F市の工事完了検査終了後に違法に改装され 駐車場であるべきスペースをオフィスに変更したものであるので当然容積率違反の建物となった
さらに 建築当初はレストランであった8 F部分もすべて客室に改装され TYホテルが合計140室のホテルとして借り上げ経営していたものであるので こちらは用途違反となっていた
15年前の建築当時も TYホテルのN社長は 〔容積率違反などは日本中どこでもやっていることですよ 高い地価の土地を有効に利用することは経済的にも有用なことです 容積率などはすぐに変更になりますよ〕 と自信満々に話し A氏としても当時すでに10軒近くのホテルを経営しているTYホテルの経営者の話なので そんなものか と何となく納得させられたようになっていた
国土交通省の指導による全国のTYホテルの調査の結果 この建物も建築基準法の容積率違反が明白となり F市の建築指導課は国土交通省の指導もあり マスコミの追及もありでTY ホテル側とA氏側に早急な改善を要求するにいたった
建物の所有者A氏は F市やTYホテル側と再三協議し もろもろの案を検討した結果 最終的にはA氏の自己使用部分は退去し 2F部分を閉鎖区画とし また各階の2部屋を閉鎖することに よって容積率違反状態を適法状態にする方針になり F市の建築指導課の承諾も取り付けた
本文は筆者の友人A氏が実際に体験したことをベースにした完全なフィクションです
万一 イニシャルから実在の人物や地名が推測されても まったくの偶然ですので御寛容ください
2009年 6月27日 記
これから書くことは何もハリウッドの俳優の離婚慰謝料の話ではない
2009年6月末日に大手のTYホテルチェーンが 賃借していたホテル建物の所有者に対して 支払ったお詫び料である!
なんと太っ腹な と感心するかしないかは 以下のいきさつをご覧になって判断されたい
少々長いので 発端―経緯―訴訟―終結 と数回に分けて掲載するので ゆっくりとご覧ください
1 発端
2006年1月 ようやく正月気分も抜けたころに 大手のTYホテルチェーンのY市の施設が容積率違反の建築基準法違反で摘発された その時のTYホテルの社長の謝罪会見は未だに語り草になるほどであり 経営者の危機管理能力の欠如の典型例とされている
お忘れの方も多いだろうから 改めて その仰天言動の一部を当時の新聞から引用してみる
〔不正改造の謝罪会見で開き直った大手ホテルチェーン「TYホテル」のN社長(59)は 「まあいいかと思った」 「60キロの制限速度を67、68キロで走っていいと思っていた」 〕
このN社長の記者会見時の傲慢無礼な対応が全国のTVに流れ大ひんしゅくを買い ことはY市だけでなく 国土交通省の監督のもとに全国のTYホテルの建物の総点検に発展した
その結果 TY ホテルの半数以上にもなる70か所以上の建物で容積率違反 用途違反など様々な法令違反が見つかり 監督官庁から改善命令を受け N社長は引責辞任に追い込まれた
その中の1つが 本件の建物である
その建物はC県F市のJR F駅徒歩3分の場所にあって 8階建てで140室のホテル客室があり 1Fはテナントに賃貸され 2Fの一部は所有者A氏が事務所として自己使用していた
建築当初は そのホテルの客室以外の部分は建築基準法での容積率に含まれない屋内駐車場として申請されており F市の工事完了検査終了後に違法に改装され 駐車場であるべきスペースをオフィスに変更したものであるので当然容積率違反の建物となった
さらに 建築当初はレストランであった8 F部分もすべて客室に改装され TYホテルが合計140室のホテルとして借り上げ経営していたものであるので こちらは用途違反となっていた
15年前の建築当時も TYホテルのN社長は 〔容積率違反などは日本中どこでもやっていることですよ 高い地価の土地を有効に利用することは経済的にも有用なことです 容積率などはすぐに変更になりますよ〕 と自信満々に話し A氏としても当時すでに10軒近くのホテルを経営しているTYホテルの経営者の話なので そんなものか と何となく納得させられたようになっていた
国土交通省の指導による全国のTYホテルの調査の結果 この建物も建築基準法の容積率違反が明白となり F市の建築指導課は国土交通省の指導もあり マスコミの追及もありでTY ホテル側とA氏側に早急な改善を要求するにいたった
建物の所有者A氏は F市やTYホテル側と再三協議し もろもろの案を検討した結果 最終的にはA氏の自己使用部分は退去し 2F部分を閉鎖区画とし また各階の2部屋を閉鎖することに よって容積率違反状態を適法状態にする方針になり F市の建築指導課の承諾も取り付けた
所用で 中華航空を利用しVanuatuへ行った 成田―台北は順調 台北でBZクラスの待合室に入ったとたん こちらの搭乗予定のブリスベン行きの便が25分遅れる との掲示がある もともとブリスベンでは50分の乗り継ぎ時間しかないのでぎりぎりではあった上に25分の出発遅延となると まあ半分あきらめかなと観念した
機内で日本人アテンダントを探したが乗っていないとのことなので チーフアテンダントに90%の英語と10%の中国語で何が何でもブリスベンでAirVanuatuに乗り換えなければいけないと縷々説明し 最後には機長からブリスベンの管制塔に連絡してもらい OK問題ない との確約をもらった しかし到着してみなければわからない
BZクラスで快適ではあったが やはり時間が気になる ままなるようになると腹を決めてジョニーウオカーブルーラベルにコーラをたらして数杯 熟睡 翌朝 中華航空機はブリスベン飛行場に9:35にタッチダウン ボーディングゲートまでタキシング10分 機内アテンダントの誘導で最初に出て出口で待つ地上係員と一緒に拡張工事中でわかりにくい飛行場内をSeftyCheck TransitのチェックもそこそこにAirVanuatuのボディングゲートに到着したのが 9:55 まさに出発の時刻
当然 僕が最後の客で 乗り込みと同時に ドアーが締まり 5分もしないうちに飛び立つ
なぜか 満席のAirVanuatuの客から拍手? あとで臨席のオージーから You are the last person is harrying to Air Vanuatu.Please wait for him more 5 mins. と機内アナウンスがあったと聞かされて たしかに5分は待っていてくれた と何かむしょうに感激した
10日ほど後に帰国後 今回の航空券を手配した旅行会社に何とか無事に乗り継ぎできた と一報をいれると かなりのベテラン担当者も 国際線乗り継ぎが10分でOkだったとは!僕にも経験がないことです と一緒に喜んでくれた
実は 彼には 万一ブリスベンでの乗り継ぎに失敗したら シドニ-まで移動して そこからVanuatuへ飛ぶのでAustraliaのETASVisaの手配までしてもらっていたので 乗り継ぎの成功は他人ごとではないほど喜んでくれたのだろう
まさに 007も真っ青の経験であったが あきらめない粘りと多少の語学力が身を助けたのかも しかし胃が痛くなるような経験は2度はしたくないものだ
機内で日本人アテンダントを探したが乗っていないとのことなので チーフアテンダントに90%の英語と10%の中国語で何が何でもブリスベンでAirVanuatuに乗り換えなければいけないと縷々説明し 最後には機長からブリスベンの管制塔に連絡してもらい OK問題ない との確約をもらった しかし到着してみなければわからない
BZクラスで快適ではあったが やはり時間が気になる ままなるようになると腹を決めてジョニーウオカーブルーラベルにコーラをたらして数杯 熟睡 翌朝 中華航空機はブリスベン飛行場に9:35にタッチダウン ボーディングゲートまでタキシング10分 機内アテンダントの誘導で最初に出て出口で待つ地上係員と一緒に拡張工事中でわかりにくい飛行場内をSeftyCheck TransitのチェックもそこそこにAirVanuatuのボディングゲートに到着したのが 9:55 まさに出発の時刻
当然 僕が最後の客で 乗り込みと同時に ドアーが締まり 5分もしないうちに飛び立つ
なぜか 満席のAirVanuatuの客から拍手? あとで臨席のオージーから You are the last person is harrying to Air Vanuatu.Please wait for him more 5 mins. と機内アナウンスがあったと聞かされて たしかに5分は待っていてくれた と何かむしょうに感激した
10日ほど後に帰国後 今回の航空券を手配した旅行会社に何とか無事に乗り継ぎできた と一報をいれると かなりのベテラン担当者も 国際線乗り継ぎが10分でOkだったとは!僕にも経験がないことです と一緒に喜んでくれた
実は 彼には 万一ブリスベンでの乗り継ぎに失敗したら シドニ-まで移動して そこからVanuatuへ飛ぶのでAustraliaのETASVisaの手配までしてもらっていたので 乗り継ぎの成功は他人ごとではないほど喜んでくれたのだろう
まさに 007も真っ青の経験であったが あきらめない粘りと多少の語学力が身を助けたのかも しかし胃が痛くなるような経験は2度はしたくないものだ