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筆者は50年ほどまえの中学3年の春休みに開成学園中学校の仲間4人とともに 東京―大阪のサイクリングを決行したーこの旅行記は 当時の開成学園の現代語の教師であった安藤幸輔先生(あだ名はリボンちゃん)に添削をいただき 受験雑誌で有名な旺文社の〔高校時代〕に写真入りで8ページにわたって掲載された(余談だが 安藤先生は葉山修平のペンネームで 小説を書き 一時はN賞候補にもなったし 最近では 月の虹―東京K高校の教師たちー龍書房 ¥1,200 の中で 東京大学の入学者数が連続数十年日本一の有名進学校の教師たちのぐうたらな行動や学園の内幕を書いて世の教育ママの進学熱に冷水をかけた? 時間と少々の資金の余裕のある方には ご一読をお勧めする) 余談と前置きが長くなったが 昔の恩師の本の宣伝をすることで 過去の不勉強を少しはお許しいただければ幸い

さて 50年後の今日 当時の仲間に再度のサイクリングを~と提案したが アホか の一言で誰も振り向きもしない(当然デス) さすがに筆者も高齢者の部類でもあるので 自転車での長距離走はとても無理と 思いそれにかわる何かを模索していた

筆者が代表者を務める会社の一つに熊本市の不動産管理会社がある
1985年の業務開始で地元の私立大学の学生寮なども管理していて 年々卒業する寮生諸君が在学中に使用した50ccのスクーターなどを置いていってしまう  ほとんど使用していないものから 転倒を繰り返し廃車寸前のものまで様々あるが かねがね船橋市の会社で使用できればと考えていたスクーターがある
それを 4月5月の連休を利用して 陸路走行して運搬することで 50年目の記念にしてはどうか?と  無謀にも考えた(50ccは原動機付き自転車 だから 形容詞がなければ自転車!)

熊本市―船橋市の一般道路の距離は1,400km
道路交通法では50ccスクーターは 第一種原動機付き自転車(なんと自転車)であるから 高速道路は言うに及ばず自動車専用 バイパス道路 有料道路など 近 早 有 車などのつく道路は一切通行禁止である ひたすら一般道を時速制限30kmで走るしかない(多少のスピードオーヴァーはご容赦願う)
幸いこの連休は天候もよく 日照時間も12時間は見込めるが 1日10時間の300km走行では4日しても1,400kmは走破できないことになる
そこで 国東半島先端の竹田津―徳山(広島県)2時間の周防灘横断フエリーを使うと 熊本-福岡― 門司―下関―徳山を走るより150kmほど短縮できるので 計算上は1,250kmをなんとか3日の走行で完走?できる と もともと数学にはからきし弱い頭でも机上の計算だけはできた

昔から思い立つとどうにも止まらない性癖もあり 電卓をたたいた結果即実行となり 2010年4月30日(金)バイク用の防水防寒スーツ ヘルメット 着替えをバッグに詰め込み羽田空港から熊本空港へ 熊本市内で明日からの長距離走行に備えて スクーターを整備する

5月1日(土)6:00に熊本市島崎2丁目を出発し 合志市を抜けて387号線を北上する
出発後50kmほどの所に 開成工業株式会社 と何やら水門工事の業者らしき看板があり 社名の由来を聞いてみたい誘惑もあったが 早朝でもあり且つ連休最中であれば 会社は無人であろうから 社名の看板の写真を1枚 ここでのメーター297kmである  
 
開成工業株式会社 看板  

メーター 297km

阿蘇の北側を走り 玖珠町から大分県豊後高田市へ向けてひたすら走る 途中213号線に乗るころには薄もやもはれ陽も完全に上がる 途中給油をして(ガソリンタンクが4,5Lなので3Lほど消費するとメータがEに近ずく)11:40に竹田津に到着  徳山までの運賃¥4,200(人間¥2,600+バイク¥1,600)を払い 売店でカップラーメンを食す 
   
スオウフェリー        


ガラガラのフェリー駐車場   


(原動機付き)自転車 頼りなさそう

待つこと30分ほどでフェリーへの乗船開始 2輪車はこちらと750ccの堂々たるバイクの2台(というか1台半?)車両は8台ほど 12:30の定刻に国東半島を離れ 海路広島県徳山港に向かう2時間の周防灘横断の旅  1時間ほどはソファーで熟睡 目覚めると徳山港が目前 ふと見ると 船名Crystal Wind  船籍地Port Vila Vanuatu とある大型の貨物船がしきりに砂利を積んでいる まさか日本から砂利をVanuatu まで運ぶはずもないので 船籍だけVanuatuにおいている外航運用船であろう

     
フェリー船中 はや悲壮感漂う       


徳山港が目前        


Vanuatu船籍の貨物船

さて 2時間の船旅のあと 14:30に広島県徳山港に上陸し いよいよ本州の第一歩である

国道2号線をひたすら瀬戸内海沿岸を東へ向かう 岩国市を抜け広島市の原爆記念館を左に見て   何度か給油と休憩を繰り返すうちに 東広島市を抜けるころには5月の快晴の太陽も早西に傾き 東に向かう背中に西日が快い すでに熊本出発時からは350km走行している
広島空港を過ぎること数10kmで広島県三原市に入る そろそろ今夜のねぐらをと探すうちに国道2号線の右側の海よりに いかにも空室のありそうな(つまり侘しそうな)6Fのセンターホテル三原のネオンが見える メーターはちょうど620kmほぼ計算どうりの走行である 思ったとうりこの連休中でも空室ありで 何かの縁にと一泊目をこのホテルに決める
 
    
メーター624km        


センターホテル三原(広島県)

5月2日(日)6:00のホテル出発時のメーター624km 
本日の予定は 尾道市―福山市―倉敷市―岡山市―赤穂市―姫路市―明石市―神戸市―大阪市―京都市―草津市 つまり広島県 岡山県 兵庫県 大阪府 京都府 滋賀県あたりまでかと勇躍ホテルを出発する
午前中で姫路市まで走破する さすがに神戸―大阪―京都となると交通量も格段に増加し 50ccでは 道路の左端を走っていても 身の細る思いがする 大型車の追い越し時の風圧ではそれに巻き込まれないようにするのが精いっぱいであり 早くも西に傾いている太陽を背にうけ とても風景を楽しむ余裕は ないが 神戸ではPort Towerを右に見て 大阪駅前を通過し おりしも連休で多くの観光客にあふれている京都では東寺前を悠然と走り ひたすら名古屋方面を目指しひた走る
 

京都市内                


上に同じ

2日目の目標である草津市にはいるころにはすでに夕闇が迫り 50ccも77kgもそろそろ今宵の休憩場所を求めている  しかしこのあたりの国道1号線沿いのビジネスホテルは連休を利用した近辺の高校の体育親睦大会があるとかで数件とも満室である由 こんなことなら多少高いけど草津温泉にでもと思ったが さすがに引き返す余裕もなく ままよと Go!Go!
甲賀市に近づく頃にはすでに19時をすぎ 亀山市 四日市市まで突っ走る気になる と 目にはいったのが 〔24時間サウナ 各種マサージあり この先7km〕 の薄汚れた大看板 24時間サウナということは 仮眠室もあり?ともかく寝られる と一躍元気がでてサウナを目指してエンジン全開!(といっても時速50km―スピード違反!) 甲賀市に入って間もなく 国道1号線の右側に2F建てのそれと思しき建物が 見える  近づくと1Fはまったく照明もなく 横手には飲み放題¥5,000 の怪しげな看板もありダンディーサウナ AQUA 入口 と矢印がある  ドアーを押して入るとまったくの無人 と タオルで鉢巻をした 50年配の男性が2階から降りてくる ここは営業していますか?とおもわず聞いてしまったほどの不気味な雰囲気  その男性は やっとらすやっとらす 2階 と降りてきた方向を指さす
 

怪しげなAQUAサウナ入口  


さらに怪しげな5000円飲み放題

あちこち擦り切れた赤じゅうたんのラセン階段を20段ほどあがると 受付 とあり 50年配の女性がいらっしゃいと迎える マッサージなしでもOK 明日まで仮眠なら¥3,000 居酒屋があるから なんでも作ってあげる と完全な標準語だが少し韓国訛りの日本語で返事が返る で ¥3,000を払いサウナセット  一切を受け取り 貴重品をロッカーにしまい さっそく風呂に入る  400km走行の埃を流してさて軽く 食事でもと件のママさんご指定のフロント横の居酒屋スペースに腰を落ち着ける  テーブルが3卓 カウンターに椅子が4個ほどでTVではプロ野球が流れている  生ビールでも飲むかと センメッチュ ハナ  チュセヨ とこればかりは得意な韓国語で注文する  テーブルにいた3名の女性がとたんにこちらを見て ハングルマル タラチネヨ(韓国語 上手)とお世辞がいっぱい マッサージいかがですか?と 40代の女性が話しかけてくるが マッサージ ピリョオプソヨ メッチュ プッタカムニダ?(マサージはいらない    ビールでもいかが) と水を向けると 1人だけビールを あとはウーロン茶で なんともしまらない

中にちょっと見られる30代と思しき女性が ウーロン茶をすすりながら しきりに韓国語で話しかけてくる こちらの語学力では理解は半分?だが マッサージをしないと給料が無い なんとか安くするからマッサージお願い~らしい こちらも熊本を出てからすでに750km走行して神経はかなり興奮状態でもあり  明日からの安全運転のためにはこの興奮している神経を休めることは必須である との理屈とセンメッチュ  (生ビール)2杯のほろ酔い気分もあり マッサージをうけることにする
このサウナは 半個室の仮眠室(カプセルホテルを想像してもらえば早い)が10部屋ほどあるが 田舎のこともありサウナで一晩明かす人も少なくほとんど宿泊客は居ないらしい で マッサージベッドが4台並んでいる味気ない部屋よりもこの仮眠室でマッサージできるか と聞けば どこでもケンチャナヨ(かまいません)の由 照明を落とした個室状態の狭いベッドで 妙齢?の女性から 微妙なマッサージを受ければ 現役の高齢者としてもつい日韓親睦に勤しもうと思うのが当然の結末―チュムシムネ(オヤスミナサイ)~

5月3日(月)6:00 甲賀市 ダンディーサウナ 出発
少々高いマッサージ代と 逆に腰痛気味になったことを後悔しながら それでも750km走行の神経の 高ぶりはすっかり治まったようで 一躍最終ゴールの東京へ向けて発進(メーターは979km)
 

メーター979km         


半身不随?豊橋市のA君

ソンミ嬢からは また会いたいまた来てね と涙?ながらに言われるが ここ甲賀市はおそらく韓国より 遠い? 生涯2度と来ることはないだろう(とは 少々オーヴァーか?)

衣衣の想いを振り切って 鈴鹿峠を越えて(50年前のサイクリングでは 親切なダンプカーの荷台に自転車ごと積んでもらい 冷や汗をかく間もなくアッと言う間の峠越えだった) 四日市市 その手はくわなの 焼はまの桑名市を超えると早名古屋市が近い  名古屋市は熱田神宮を左に見て一号線を快走(50年前には 熱田神宮近くのS君の親類の家にサイクリング仲間5人が一宿一飯のお世話になった) 昨夜のマッサージ?効果でか神経の高ぶりが沈静して快適に走る  岡崎市を過ぎて11:00には豊橋市着  ちょっと早いが 豊橋の友人A君と昼食を共にする 
このA君は30年以上も社員10名ほどを使ってウレタン加工の仕事をしていたが 酒と女に使い過ぎ 5年ほど前に会社をつぶし自宅も社屋もすべて無くし 本人は2年ほど前に脳梗塞で倒れ 左半身麻痺で  リハビリ中 1年前に奥さんにも先立たれ まったく不運としか言いようがない状態 熊本から50ccスクーターで来た といっても信用しない 当然だろう本人は杖をつき10m移動するにも5分かかるのだから 

それでも熊本ナンバーのスクーターを見てようやく納得したのか 軽く昼食を一緒にして (A君は昼でも朝でも必ずビールを飲むー脳梗塞もありなん) 正午に東京へむけてのLast Run! Go East!

豊橋市から浜名湖の弁天島駅前を通過する(50年前のサイクリングでは この弁天島駅で 初日の経験から寝袋毛布など使い物にならないものを送り返した) 浜松市 袋井市を抜け 存続か廃止かでもめている富士静岡空港を右にみて 大井川を渡れば 焼津市(焼津の焼津市民病院では6年ほど前には  次男が勤務しており その指導で胆嚢結石の胆嚢全摘手術を受けた痛い思い出の場所) 次郎長さんの清水港を過ぎるころには 富士山が遠望できる
このあたりの道路は沿線の市街地を避けて バイパスが整備されているが もとより50ccには無縁の道路  ひたすら国道1号線を東へ 東へ Go East!
左に見ていた富士山も そろそろうす暗くかすむころに 三島市で時刻は18:00
これから箱根を越え小田原から横浜 東京はちょっときつい  急遽1号線をはずれ 熱海峠を越えて  熱海市網代温泉へ向かう  網代温泉には会社の保養施設の温泉マンションがあるので 最後の疲れを一晩温泉につかって癒すことにする  網代温泉着が19:00 天然かけ流しの温泉につかり 全自動  マサージ椅子で30分(正真正銘 本当の全身マサージ) 完全に疲れの抜けたところで近所の居酒屋へ

 
網代シーサイドパレス南熱海     


メーター1346km

ここまでの走行はメーターでは1,346kmを表示し 1,100kmほどを走破したことになる 最終ゴール まで残るは150km ほんの3時間ほどか?
 
5月4日(火)6:00 網代温泉出発 熱海市を抜け小田原市から茅ケ崎市 横浜市と順調に走る
多摩川を超え東京都に入る 国道1号線沿いの慶応義塾大学(懐かしい)前を左折して桜田門の警視庁前から銀座を通過し日本橋到着9:30  茅場町から両国橋を渡り 14号線(千葉街道) 小松川橋   市川橋を渡り 船橋8kmの表示が見えた時には思わず歓声!
10:20 最終目的地船橋市に到着! メーターは1,600kmを示し 走行距離は1,260kmほどになる

 

―1,260km 完走! 日焼けで真っ黒 会心の笑い (スクーターの熊本ナンバーに御注目)―



65,9歳の高齢者 Crazy Run! 支出報告
ガソリン代 ¥6,000- (給油回数 16回 1回の給油は3リッター程度)
宿泊費 BZホテル¥5,000- サウナ¥3,000-(別にマサージ?など諸経費¥15,000-)
食費 ¥9,000-  スオウフェリー ¥4,200-
合計 ¥42,200- +若干の体力と若干の精神力 

3泊4日のこの無謀なバイク紀行 運転者も50ccもまさにフルスロットル!高齢者でもやればできることの証明でもあった(誰もこんなバカバカしいことをやろうとは思わないだろうが) 
多少懸念していた椎間板ヘルニアもOKだったし パンクも事故もなく(何回かはヒヤリとした場面もあったが) 日本の50ccスクーターの優秀性(Suzuki ZZ)に脱帽し 思いもかけない場所で韓国語が役に  立った日韓親善もあったり~~~残り少ない高齢者の人生 時には理屈でない生き様もいいのでは? 

友人たち曰く 時間とエネルギーの浪費と思いませんか? なぜそんな無謀なことをやるの? 
彼らにはサムエル ウルマンの次の詩を謹んで進呈したい

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
青春とは心の若さである 
青春とは人生のある時期ではなく 心の持ち方をいう        
青春とは怯懦を退ける勇気 安易を振り捨てる冒険心を意味する
ときには 二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある 
年を重ねただけで人は老はしない 理想を失うとき初めて老いる  
― サムエル ウルマン より抜粋 ―
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2010年5月8日  Alan Osuka 記 (1944年6月生まれー満65歳と10カ月 青春真っ最中!)


追記:
1 50cc原動機付き自転車で 1,000km以上走行希望の方があれば 喜んでお供します
2 50ccの熊本ナンバーは あまりにも目立ちすぎて 警察官の職務質問が多いので 船橋ナンバーに変更いたしましたー残念! 
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2009年12月中学高校時代の同級生が死去 享年65歳 中期高齢者といえどもあまりにも早すぎる その通夜に参加した同級生から寄稿があった 原文のまま掲載します(氏名は仮名です)
不摂生を絵にかいたような生活をしている不動産やの筆者などどは違い 彼は食については専門家であった その彼が先に逝くとは 人生の無常をいっそう感じます

巳城君の通夜に参列して

平成21年12月10日、悲しさを堪えて巳城君の通夜に向かった。乗り慣れない京王線の車中で「思えば、真田君が亡くなったのも12月だったよな…」(真田君は5年前の12月14日に逝去されている)と、一人感慨に浸っていた。
途中、電車の乗り違いなんかをしてしまったので、会場の観蔵院瑠璃光会館に到着したのは通夜の始まる2分前であった。既に長蛇の列が並び、故人の遺徳を偲ばせていた。列の最後尾に並びながら前方を見ると、長身の瀧田君・頭を光らせた吉田富正君の姿が見えた。周囲の方に目礼し、その列に加えて頂く。数日前に巳城君を見舞ってくれた瀧田君から病状等の話を聞いているうちに、古川君や森君が姿を現した。
参列者の焼香が始まった。葬儀社の係員が「本日のご焼香は一回のみでお願いします!」と、繰り返し叫ぶのが喧しかった。《2時間かけて、お別れに来たんだ!最後の時くらい、ゆっくり拝ませてくれ!》と内心では思ったが、大人しく指示に従った。

巳城が勤めていた中村屋の社長や開成高校3年6組などから贈られた沢山の花に飾られた巳城の遺影は、いつものように人懐っこい穏やかな笑顔を見せていた。《ヨウ!みんなで来てくれたのかよ》と、語りかけているようであった。遺影を見つめているうちに鼻の奥がツンとなってきた。

お清めの席に行くと、先に焼香を済ませていた土田・鈴木信保・吉沢・芥川・金籠・宇野・見目・長村らが個人を偲び、語り合っていた。河合潔・東原といった他の組の仲間も顔を見せてくれていた。(他にも見知った開成の顔が並んでいたが、残念ながら名前と顔が一致しなかった。-苦笑)
お清めを終え、瑠璃光会館を出た時にバッタリと石上君に出会った。「スマン!スマン!車で来たんだけど渋滞に巻き込まれて遅くなってしまった。申し訳ない!」
通夜の会場が、聖蹟桜ヶ丘という遠方だったので、皆はこのままお開きにする積りだったと思うが、石上君の登場で急遽《巳城を偲ぶ会》を行うことになった。まあ、それは口実で誰しもが別れがたい気持ちを抱いていたのだと思う。
知らない街なので、飛び込みで《歌行燈》という蕎麦屋に入った。私は前回のクラス会の幹事役を充分に果たしていなかったので、ここでの幹事役を務めさせて頂いた。瀧田君と見目君に員数を確認すると「え~っと、今10人だけど後から石上が駆け付けるから11人だな。」という返事であった。
「献杯!」の掛け声で全員が巳城の冥福を改めて祈った。「俺はさ、よく巳城と喧嘩したんだよな。あいつはいいヤツだと思うけど、知ったかぶりでヒトコト多いんだよな…」と、吉田富正が会話の口火を切った。「そこが巳城の巳城たる所以だよ!」と、見目が切り返す。会話は和やかに進んだ。

巳城の病状悪化については、前回のクラス会で瀧田から報告があったのだが、参加出来なかったメンバーもいたので、改めて瀧田の話を傾聴した。話の途中、何かのきっかけで瀧田の口から
「だからさ、オイ!巳城、巳城は何処に行った?」という言葉が飛び出した。その口調が、あまりにも自然な呼びかけだったので、あたかも巳城がそこにいるような錯覚を覚えた。
その時、全員が《巳城は、俺たちの胸の中に生きているのだ》と感じたはずである。

30分遅れで石上君が到着した。改めて《献杯》のやり直し。いつまでも話は尽きなかった。

帰りの車中で、ふと思った。《待てよ、店に入るときに見目達が員数確認をしてくれた筈だ。その時、遅れて来る石上君を入れて11人という返事だった…。それなのに、席についていたのは10人しかいなかった…。会計の時に、吉田が10で割る割り勘だから簡単だよな!と大声をあげたので、それは確かだ。》
「そうか!あの時、あの席に巳城がいたんだ!開成の仲間たちと最後の別れをするために、俺たちの席に来てくれたんだ!」俺は、何故か少し嬉しくなって一人車中で微笑んでいた。(合掌)

開成高校3年6組 佐藤奉昭 拝
釜山の地下鉄 1
所用で時々 韓国釜山へ出かける いつもは現地の知人が車で迎えに来てくれたり あるいは タクシーで目的地へ行っている 先回知人が車で釜山国際フェリーターミナルまで送ってくれた折は 突然の豪雨で市内が車の大渋滞となり 危うくフェリーに乗り遅れるところであった で 次回は渋滞には縁のない地下鉄を利用しようと密かに思って 今回実行したというわけである 釜山の地下鉄は3号線まであり 1号線は北ー南ー西 2号線は東ー西ー南 3号線は1号2号を結ぶ形で概ね東ー西 に走っている 各駅間の走行は約1分40秒 停車時間は約30秒 であるので ほぼ2分で1駅を通過していく 車内放送は韓国語 英語 日本語 中国語でされるが 日本語 中国語は主要駅だけの場合が多いようだ 座席は少し固めであるが程良くクッションも効いており 香港の地下鉄のような座席がプラスティックということはない 運賃はW1,100~W1,300で円換算では¥100に満たない金額であるから格安とも言える 釜山駅から1号線で約10分 西面駅で2号線に乗り換え 終点の長山駅まで約20分 西面駅での乗り換え時に 人のよさそうなおばさんに得意?の韓国語で ヨギ チョンサン カジ カゲッスムニカ?(これは長山へ行きますか?ーと聞いたつもり)ネーカゲッソヨ(はい 行きます)と返事が返ってきて 通じた韓国語にNHKの韓国語講座に感謝!(帰国したら NHKのTV聴取料を払おうかな)座席にすわって図書館から借りだしてきた日本語の小説を読んでいると 隣の女子学生が 失礼ですが日本の方ですか?とこちらの韓国語よりはるかに完璧な日本語で話しかけてくる こちらは つい ネー(はい)と韓国語で返事して 一瞬後に二人で笑いあう 聞くとこの2号線沿いの駅にある釜慶大学で日本語を勉強しているとか 何やら筆者の卒業した慶応義塾大学と似通った大学名で それを話すと 面白いですねと言って また機会があれば会いましょう と席を立つ みると 慶星大 釜慶大駅である このときは つくづく釜山の地下鉄の速さを恨めしく思ったー続  
最近 中高齢者の間で 指先の運動や頭脳の活性化になるとかで 麻雀が静かなブームになっているそうだ 自治体が音頭をとって 公共の施設を無償で貸し出したり ゲームの指導をしたりするところもあるという
筆者も最近 自宅の離れを多少改装したおりに その1部屋に中古ではあるが自動麻雀卓を購入し  近所の居酒屋の常連の気のおけない仲間たちと時折 ポンチーとやっている

最長老の〔ツカジイキング〕 麻雀と競馬と女が大好きなもと中華料理店経営者で現在は年金と多少のアルバイトで悠々自適 70歳の今でも週に2回はSexしないと鼻血がでるとかの精力絶倫のお化けのような不良高齢者 麻雀は熟考型で 周りから週刊誌! と催促されても我関せず 唯我独尊

年齢は50歳後半の〔ノダボウソウゴウ〕 建築防水工事業の現役で中央競馬会に多大な寄付をしており それさえなければ家の2軒は建ったであろうという本州の最西端出身の独身 麻雀経験は長いしそれなりの理論家であるが いざ実戦となると 知るとやるとは大違いのとうりで 時おりのチョンボもご愛嬌だが 一度ツキだすと暴走電車のごとく どうにも止まらない

最も若い相撲取りの弟子のような体格の〔リュウセイマル〕大手の電気関係勤務のサラリーマン 自称〔龍〕で 雪駄をチャラつかせ浅草あたりを徘徊する一方で かなりな右翼思想 毎年2回は靖国神社へ参拝し涙を流すという40歳台の独身の好人物 体重のせいか成人病の巣窟のようになっており 数種類の薬が離せないが 麻雀は体格どうり豪快な打ち方で 役万ねらいは一番多いし 裏どらチップの集めかたは抜群

千葉は外房の出身で 未だになまりが抜けない〔ヨシケッカラオウ〕(つまり ケッカラ=帰るから)はリュウセイマルの同僚で 暴飲で肺結核?になり 医者から禁酒を言い渡され ようやく近々禁酒解禁になるとかで 一日千秋の思いで酒を待ち望む 週末ともなれば中央競馬会への寄付は忘れない義理がたさ 離れ麻雀まで約40分もかかる遠方参加者で典型的な所帯麻雀 勝っても負けても数千円のじつに手堅い麻雀

最後は筆者〔オレオレックス〕自分で言うのもおかしいが 8月にこの離れ屋麻雀がスタートして10月まで負けなしの連戦連勝 さすがにこのところ息切れして連敗 ひそかに心機一転を図る離れ麻雀の堂元 といってもショバ代などは全くとらないし 食事代などは勝った人から勝ち分の10~20%の寄付で賄う

日曜日の昼のひと時 各自が持ち寄ったビールやらを勝手に飲み食いしながら 競馬の結果とパイの行方に一喜一憂しながら 和気あいあいのサンデイ麻雀 終わればいつもの居酒屋へ流れて反省会
間違いなく ぼけ防止にはなっているような気がしますな

1億5千万円!に訂正?
TYホテルとA氏との賃貸借契約では 〔TYホテル側が契約違反をした場合は差し入れ敷金のうち 5千万円をA氏側が没収する〕 とある
今回のT地裁の和解案を受け入れ 1億円を支払うことに同意した ということは つまりTYホテル側がA氏との賃貸借契約違反(正当な理由のない中途解約)を認めたことになるので 差し入れ敷金のうち5千万円をA氏側に差し出すということになる
というわけで 1億円のお詫び料は 1億5千万円のお詫び料!!に訂正です
お粗末様でした!!! お見事でした???

* 最後に重ねて重ねて申し上げますが 本文は完全なフィクションですのでご承知ください
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